昨日の蔵での練習は、いつもより大分長くなって、帰りが遅かった。
何度も何度も同じ曲を練習して、疲れなかったわけじゃないんだけど。
それでもなんか、楽しかった。
ふと気がついたら、夜の9時を回ってて。みんな、慌てて帰った。
有咲は大丈夫って言ってくれたけど、やっぱり悪かったな。
後でちゃんと謝ろう。
誰か、お母さんとかに怒られたりしていなければいいんだけど……。
その練習終わりの、今朝。やっぱりまだ、大分眠い。
こうして学校までの道のりを歩くだけでも、既に2回はあくびをしている。
みんなで練習していると、時間が過ぎるのを忘れてしまうから、
昨日の事も仕方ないと言えば仕方ないんだけど。
それで次の日の練習に支障が出たら、本末転倒だし……。
これからは、時間もある程度は気にしようかな。
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「おっはよー沙綾!」
「わっ! ……びっくりした、香澄かー」
突然声をかけてきたのは、ボーカル兼ギター担当の戸山香澄。
いつか、私をバンドに誘ってくれたのも彼女だった。
「ったく、沙綾を見た途端いきなり走っていきやがって……」
後ろからトテトテと追いついてきて、今もなおハアハアと肩を上下させている、
明るい色のツインテールの女の子。
彼女は、キーボード担当の市ヶ谷有咲。
見た目は清楚なお嬢様なのに、素直ではない所が玉に傷だ。
「おはよう、香澄、有咲。朝から二人とも元気だねー」
「私は全然元気じゃねえ」
有咲が不満を口にしているが、香澄はそんなことお構いなしだ。
「んー! 今日も沙綾、いい匂い!」
「え? ――ちょ、香澄っ!?」
香澄が突然、私の腕に抱き着いてきた。
「……お前なあ、誰彼構わず抱き着くなっつーの」
有咲は呆れ気味にため息をつく。
「えっへへー、パンの匂いがするー」
ニコニコと小動物のように笑う香澄を見ていると、私は何も言えなくなってしまう。
「私ねー、沙綾が傍にいると、見えなくてもすぐわかっちゃうんだあ、すごいでしょー」
私の腰の辺りに手を回しながら、子犬のように鼻をクンクンとさせる香澄。
――それって……見えなくても分かってしまうくらい、私の匂いは特徴的ってこと?
「そ……そんなに匂いする……かな?」
聞くと、香澄は既に明るい表情を、更にパアッとキラキラさせて。
「するよー? 沙綾が通ったって、私すぐにわかるもんっ!」
「……そっか、そんなに……匂いするんだ」
「……パンの匂い……か」
教室に到着して、みんなとの会話を終えて席に着いた私は、それとなく自分の二の腕に鼻を近づけた。
正直、自分からどんな匂いがするかなんて、自分では全然分からない。
私の家は『山吹ベーカリー』という店名でパン屋を営んでいる。
私は、いつもお父さんの仕事を手伝っているから、パン屋の匂いが身体に染み込んでいても不思議ではない。
それにパンは大好きだし、身体から仕事場の匂いがすると言われれば、悪い気はしない。
……でも、私だって年頃の高校生だ。
身体から食べ物の匂いがするなんて……傍から見たら、どう映るんだろう。
言いようのない不安感が、胸の奥底にドッと溢れてくる。
2つの見慣れた影が、いつの間にか私の座る席の目の前まで近づいていたことに、
ボーっと考え事をしていた私は全く気が付かなかった。
「沙綾? どうしたの、元気ないね」
「沙綾ちゃん、何かあった?」
おたえとりみりんが、私の顔を覗き込んできた。
机に座って木面をじっと見つめていただけなのに、私は二人を心配させてしまったらしい。
「う……ううん、何でもないよ。
そ、それよりも……今日の放課後も、蔵で練習するんだよね! また、みんなで頑張ろ!」
適当に言葉を取り繕い、いつもの私を演じることで、どうにか2人には隠すことができたけど。
胸に居座る黒い何かは、違和感として1日中残り続けた。
放課後、私はまっすぐ有咲の家の蔵に向かった。
最近はお母さんも、お父さんがいるから心配いらないと言ってくれていて。
それでも、ホントは心配で。普段は、家に寄ってから向かうんだけど。
――今日は、もう一つの理由があった。
もやもやしている今の気分を、ドラムを叩くことで忘れたかったんだ。
「おっ、早いじゃん」
階段を下りた先には、一足先にキーボードの練習をしていたらしい、ツインテールの女の子。
「有咲……他のみんなは?」
「さあ? まだ来てないんじゃねーの」
「そっか……」
荷物を置いて、ドラムの椅子に腰かける。
「随分と白けた顔してんなー。……朝の事、気にしてんのか?」
スティックを鞄から取り出すと、何だか優しい声が、私の耳に届いた。
「え……何だ、気づかれてたんだ」
顔を上げると、有咲はキーボードに目を向けたまま。
「……そりゃあ気づくって。別に気にすることじゃねえ。
あいつ、絶対そんなに深く考えて発言してねーよ。
考えたことをそのまま言ってるだけだから、こっちが考えるだけムダ」
「あー……まあ、それは分かってるんだけどね。
ただ、そんなに私、匂いしてるのかな……って思っちゃって」
「私は全然わかんねー。香澄の嗅覚は犬並みだからな。
初めて会った時、沙綾の家がパン屋だって気が付いたのは、香澄だけだったじゃん?」
言葉も、言い方も。全部が全部、私に気を遣ってくれている。
――本当に、優しいんだから。
「……フフッ。ありがとね、有咲」
「っ!! 別に、そんなんじゃねえっつーの! ったく沙綾はホント……ああもう暑い!
ちょっと飲み物取ってくる!」
そう言うと、有咲は蔵を出て行ってしまった。
……可愛いな、有咲は。彼女と話していると、どういうわけか元気が湧いてくる。
彼女の言う通り、余り考え込んでも仕方がない。ドラムを叩いて、全部忘れよう。
――ふと足音が聞こえたような気がして。
顔を上げると、階段状に積み重なった棚の上に、香澄が立っていた。
「……聞いてたの?」
「……うん、何か、聞こえちゃった」
先程の会話を、全て香澄に聞かれてしまったのだろうか。
もしもそのせいで、香澄が今、少しでも負い目を感じているとしたら……。
「ごめんね香澄、全然そんなんじゃないから。私の思い違い。ドラム叩けばすぐに――」
次の瞬間、香澄の身体が私に密着した。
階段から下りてきた彼女が、突然私に抱き着いたのだ。
「かっ、香澄!?」
いきなりの出来事に、心臓の鼓動が高鳴っていく。
蔵の密室に2人きりで抱き合っているという状況を意識してしまったせいか、顔が熱くなってくる。
「えへへ……いい匂い」
耳元で囁かれ、彼女の甘ったるい声が私の脳を蕩けさせる。
今の私は、耳まで真っ赤になってしまっているに違いない。
背中に回された両手が解かれ、香澄の顔が鼻先まで近づく。
「……私ね、沙綾の匂いが好きなんだ。
パンの匂いに交じって、パンとは違う、沙綾の甘い匂いがするの。だから、近くにいるとすぐに分かっちゃう」
「へ……へえ、そう……なんだ」
どう返せばいいのか……分からない。
香澄は、私の事を変だと思っていないだろうか。
抱き着かれて顔が真っ赤になってしまった私を見て、引いていないだろうか。
香澄の顔が見れない。無意識に両手で顔を隠してしまう。
「その……香澄? 別にね、何でもないから、これ。放っておけばすぐ直るから」
不意に、両手に温かい感触を感じ……優しい手つきで、隠していた顔から離される。
目の前で、香澄が私の顔を凝視していた。
お願い……そんなに見ないで。
こんなに真っ赤になった顔、見られたくない……。
「……かす……み……?」
「私、さーやのこと大好き!!」
……え?
だい……すき?
「~~~~~~~~~~~!!」
顔から火が出るのではないかと思うほど、全身の温度が上昇していく。
ヤバい。胸のドキドキが止まらないっ……!!
分かってるんだ……香澄が、深く考えていないことくらい。
私だって、香澄をどう思っているのかと言われたら、友達で、同じバンドを組む仲間だと答えるしかない。
――でも、今この瞬間だけは……違った。
「……あんたら、何してんの?」
ふと見上げると、みんなの飲み物を御盆に載せて持ってきてくれたらしい有咲が、
階段から私達二人を見下ろしていた。
「あ……有咲、戻ったんだ」
その後ろから、りみりんとおたえが顔を見せる。
「ごめん、遅くなっちゃって~」
「オッチャンに夢中になってたら、こんな時間になった」
有咲の後ろに続く形で降りてきたりみりんは、何やら不思議そうな表情で、私の顔を凝視する。
「……なんか沙綾ちゃん、顔が赤いような……熱?」
「……? 風邪でも引いた?」
そんなりみりんを見て、おたえまでもが私を心配し始める。
「さ、さーて、練習始めるぞ」
話の流れを切ろうとしてくれたらしい有咲は、何だか頼もしく見えて。
……私は。
「……練習しようだなんて、珍しいね、有咲」
「なっ……いいんだよ! ……ほら、さっさと練習!」
私の言葉に怒ったのか、赤面する有咲。
結局、その日の私は動揺してて、上手く演奏できなくて。
あんまり、練習にならなかった。
明日、有咲視点で書くつもりです。見かけ次第、覗いてくださると幸いです。
だけどどこかで読んだかな?
その通りです、以前pixivで投稿したことがあります。同じ作者ですので安心なさってください。
現在そのアカウントは削除しており、その続編を書いていこうと考えております。
期待
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